最近になって、
「さいたまクリテリウム by ツール・ド・フランス」なるイヴェントの存在をようやく知った。
この国内イヴェントは、どうやら、昨年・2013年から始まったばかりらしい。日本初の“スポーツコミッション”として「さいたまスポーツコミッション」を設立、スポーツの振興及びスポーツによる地域経済の活性化を図るまちづくりを目論むべく、「ツール・ド・フランスの名を冠した(当然、本家から許可を得ている)自転車レースの大会」を開催する事となった,という。
・・・・・・そんな事があってから、9か月余りが過ぎた。 いよいよ、今年も、本家本元の
「ツール・ド・フランス」が始まる。 ・・・いや、既に始まっている。
今回の記事では、NHK-BSのダイジェスト版、
「まいにち ツール・ド・フランス」第7ステージまでを観た、その内容を出しておく。
初日は、イギリスのヨークシャー州、リーズ(Leeds)からハロゲート(Harrogate)までの190.5㎞。 「ツール」の歴史を紹介するコーナーでは、59年前に「ツール」のステージ優勝を果たした西ヨークシャー州出身の英雄、
ブライアン・ロビンソン(Brian Robinson) 氏が登場した。紹介コーナーで本人が当時を振り返って色々とレースの様子を語っていた。
ゴールまで残り僅か300mという所まで来て、
カヴェンディッシュ(Mark Cavendish, Omega Pharma Quickstep(OPQ)所属) と
ゲランズ(Simon Gerrans, Orica Greenedge(OGE)所属) が接触し、カヴェンディッシュは落車に巻き込まれた。 ステージ優勝は
キッテル(Marcel Kittel,Giant Shimano所属) が、名スプリンターの
サガン(Peter Sagan, Cannondale所属) を下してマイヨ・ジョーヌ取得を決めた。また、25歳に達していないサガンは新人賞のマイヨ・ブランを取得。山岳賞(マイヨ・ア・ポワ・ルージュ)は、
フォイクト(Jens Voigt, (TFR)Trek Factory Racing所属) が取得した。
前日の落車の影響でカヴェンディッシュがリタイアし、2日目のレースが始まった。ここは、ヨーク(York)からシェフィールド(Sheffield)までの201㎞。
先週に開催されたイタリア大会で優勝した
ニバリ(Vincenzo Nibali, Astana所属) が強さを発揮し、ツール初のステージ優勝を決め、マイヨ・ジョーヌを着る事に。サガンが新人賞とスプリント賞を取った。山岳賞は
ルモワーヌ(Cyril Lemoine, CSC(Cofidis, Solutions Credits)所属)。
イギリスでの最終戦となる3日目は、ケンブリッジからロンドンまでの155km。山岳賞の無い平坦コースである。
雨の影響で路面が濡れている最中を選手達が苦戦しながら走り抜けていく。カメラを持った観客と選手が衝突し、選手が落車する,と言うアクシデントが発生。ニバリがマイヨ・ジョーヌ、サガンがマイヨ・ヴェール、またステージ優勝はキッテル という形に落ち着く。
第4ステージで、いよいよフランスに移ってのレースが始まる。 ル・トゥケ・パリ・プラージュ(Le Touquet-Paris-Plage)からリール・メトロポール(Lille Métropole)までの161㎞である。
前年度覇者の
フルーム(Christopfer Froome, Team Sky所属) が落車する。
マテ・マルドネス(Luis Angel Mate Mardones, CSC所属) の自転車のチェーンが外れ、マテ・マルドネスは自転車を交換して再び走り出した。しかし暫く後、マテ・マルドネスの前輪がパンクしてしまうという不運続きに。
テルプストラ(Niki Terpstra, OPQ所属) が、自転車を降りる。
ヘンダーソン(Gregory Henderson, Lotto-Belisol所属) がコーナリングに失敗して単独落車。
「ツール」の裏方などを紹介する幕間のコーナーで、「コースをデザインする(通過地点やゴールを決定する)」スタッフたちの活動が取り上げられていた。
最終的にはスプリンター集団が纏まる形でゴールし、写真判定に。 結果、キッテルがトップ、2位
クリストフ(Alexander Kristoff, Team Katusha所属) 、3位
デマール(Arnaud De Mare, FDJ.Fr所属) 、4位サガン となった。また、マイヨ・ジョーヌはニバリである。
第5ステージは、今大会でも最も実験的な意味合いの強い石畳のコースであり、しかも天候が雨という非常にチャレンジングな内容となった。イプール(Ypres) から アーレンベルグ・ポルト・デュ・エノー(Arenberg Porte du Hainaut) までのこの152.5㎞区間は、「北の地獄」とも呼ばれている。
既に前日落車して怪我していたフルームが、この道中で2度も落車し、残り66.6㎞という時点で大会をリタイアする事になった。選手たちはシクロクロスのようにゆっくりと確実に進む事が強いられ、そんな中で、シクロクロスの世界大会で優勝経験を持つ
ボーム(Lars Boom, Belkin所属) がステージ優勝を決めた。愛娘をステージに招いて大喜びするボームであった。
イヨ・ジョーヌはニバリ、マイヨ・ヴェールはサガンが獲得。
第6ステージはアラズ(Arras)からランス(Reims)までの194㎞という平たんコース。この日(現地時間で7月10日)は、1914年開催のツール初日であり、勿論世界史としては「第一次世界大戦のきっかけとなった、サラエボ皇太子射殺事件」が起こった日でもある。この日当日はレースの前に参加者達が黙とうするシーンもTVで流れた。
フランス国内大会チャンピオンでもあるデマールが落車した。 マテ・マルドネスがメイン集団から大きく逃げ、先頭を走るも、残り11.5㎞の時点でメイン集団に吸収される事に。
残り0.5㎞の地点から5人ほどが抜け出してゴールまで勝負し、写真判定にもつれ込んだ。天候の影響でヘリに機材トラブルが生じ、上空からでは判定が付かず、サイドからの写真で判定する事に。結果、
グライペル(André Greipel, Lotto-Belisol所属)がステージ優勝を果たすことに。
第7ステージは、エペルネ(Épernay)からナンシー(Nancy)までの234.5㎞。先日に続き、第一次世界大戦とツールの関連する事件や人物が、途中で紹介される事に。〔1909年のツール覇者、
フランソワ・ファベール(François Faber) は、傷病兵を助けようと駆け寄った際に、敵兵の銃撃を受けて死亡。1907年と1908年の覇者である
ルシアン・プチブルトン(Lucien Petit-Breton) は、戦線から離れた所で車の事故で死亡。1910年覇者の
オクタヴ・ラピーズ(Octave Lapize) は、偵察機での仕事中にドイツ軍機に撃ち落され、1917年に死亡〕
グライペルが、登りでメイン集団から遅れ始める。
ファン・ガーデレン(Tejay van Garderen, BMC racing所属) が落車後にチームメイトの自転車を借りて走り始めた。
残り1㎞となったあたりで、メイン集団のほぼ中央で落車。更に、残り300mという所で
タランスキー(Andrew Talansky, Garmin-Sharp所属) が落車する。
ゴールは写真判定となり、
トレンティン(Mateo Trentin, OPQ所属) がサガンに競り勝ってステージ優勝を果たした。ゴールした後、トレンティンはチームからの無線でようやく自分が勝った事を知った。サガンは、マイヨ・ヴェールをスプリント部門での2位に100ポイント以上の差を付けてトップを維持。
にほんブログ村
テーマ : ツール・ド・フランス
ジャンル : スポーツ